「日本一さくらんぼの里」である寒河江市が、サクランボの原産地であるギレスン市と友好親善を深めようと、1988年(昭和63年)6月25日に姉妹都市を締結。
以降、相互訪問を中心とした交流を重ねてまいりました。
この度、国際ギレスンアクスフェスティバルへの招聘を受け、齋藤市長、佐藤教育長とギレスン市を訪問するとともに、寒河江市で2年後に予定している姉妹都市締結40周年記念セレモニーへの来寒を要請してまいりました。
今回はトルコ・ギレスン市訪問記の後編(主に2日目、3日目)です。
第49回国際ギレスン・アクス・フェスティバルへの参加
アクス・フェスティバル(Aksu Festivali)は、ギレスン市で毎年5月に開催される、数百年以上前から祝われてきた伝統的な祭りだそうです。
願い事をしながらサクアヤク(Sacayak)と呼ばれる鉄の三脚を3回くぐり(写真1枚目)ます。
その際に「あなたはどんな願い事をしましたか?」と司会者の方から聞かれたので、(本当は夕食会の時に喋ろうと思っていたのですが、軽い食事だけでそのような形式でもなかったので)「Yaşasın Giresun ve Sagae dostluğu!(ヤシャスン・ギレスン・ヴェ・サガエ・ドストゥルウ)ギレスンと寒河江の友情よ、永遠なれ!」とお話させていただきました(市民の方から大きな拍手をいただきました)。
その後会場直ぐ側にある、黒海に流れ入るアクス川に移動。
7つの石を4回に分けて(2個×3回、最後に1個)後ろ向きに投げ入れて厄払いを行いました。
神道でも、心身の穢れを身代わりとなる人形(ひとがた)に移して海や川に流して祓い清める「大祓(おおはらい)」を行いますので、それに似ていると感じました。
この祭事・神事に加えて、ギレスン市役所職員有志や近隣諸国からの訪問団による舞踏の披露を行うのが「国際ギレスン・アクス・フェスティバル」で、時間の都合上、2〜3団体のみ見学させていただきました。
ちなみに、「アクス・フェスティバル」(祭事・神事)と「国際ギレスン・アクス・フェスティバル」(近隣諸国からの訪問団による舞踏の披露)は本来別物だそうです。
そう考えると、現在の「寒河江まつり」は、地元に900年前からある寒河江八幡宮の神事・祭事と、40年以上前に寒河江青年会議所が企画した「熱狂!裸神輿」が一緒になって今の催事(≠祭事)になっているため、ここも似た印象を受けました。
ギレスン市消防署 視察
今回寒河江市としては13年ぶりに訪問することになりましたが、そのきっかけとなったのが、令和6年度の「草の根・人間の安全保障協力」です。
トルコと日本は、地理的な距離にもかかわらず、歴史を通じて友好、協力、連帯を基礎とした強固な関係で結ばれており、両国の友情と協力が地域レベルで更に強固になるよう「草の根・人間の安全保障協力」を行っています。
令和8年1月に、在トルコ日本国大使館からギレスン市へ「捜索救助用車両」が提供されました。
その贈呈式に齋藤寒河江市長からギレスン市長へのビデオメッセージお送り、再び両市の交流が再開したのでした。
ギレスン市消防署を訪問し、実際に提供された車両および現在の消防体制、配置車両などを視察いたしました。
そして翌日。
今回のギレスン市訪問のきっかけを作っていただいた在トルコ日本国大使館(アンカラ)の田村政美大使を表敬訪問しました。
また、現在のトルコ情勢や、日本で報道されているいわゆる「クルド人問題」等について、懇談を行いました。
行程としては1週間だったのですが、ざっくり言うと行くのに2日、公式行事2日半、帰り2日ぐらいのかなり弾丸訪問でした。
ちなみに行きは、5/18午後9時過ぎに羽田空港を出発し、約12時間後にイスタンブール空港に到着(時差により、東京を夜出たのに翌早朝トルコ到着)。イスタンブール空港内で3時間ほど乗り換え待ちをし、そこから2時間かけてギレスン市最寄りのトラブゾン空港へ。そしてトラブゾン空港から車で1時間半ほどでギレスン市到着(現地時間お昼すぎ)し、そのまま公式行事に突入というような超濃厚なスケジュール(帰りもほぼ同様の時間と行程)。
相互訪問が13年前に途絶えてしまっており、これだけ長期間関係がない状態が続いてしまうと、新たなアクションが難しくなっていたのですが、日本国大使館からギレスン市へ捜索救助用車両が提供され、その贈呈式に寒河江市長がビデオメッセージを送ったことをきっかけとして、今回こういった訪問、そして2年後の来寒の要請ができたことに、在トルコ日本国大使館及び関係機関の皆様に深く感謝しております。
実は日本へ帰る際、トラブルに見舞われたのですが、「日本の寒河江市から来たギレスン訪問団でしょう?」と、前日の訪問のニュースを見たギレスン市民が助けてくれる場面がありました。
韓国や台湾と違い、移動だけで1日半以上かかる長距離のため、相互訪問等の頻繁な往来は難しいところではありますが、38年に及ぶ両市の良好な関係を肌で体感できる訪問となりました。






