昨日は南部地区だったのですが、本日は午前7時より旧市街地区の町廻り。
本日は2班体制になっており、1班は本町や西根などを、2班(私)は、六供町〜緑町〜船橋〜元町らへんを廻りました。
何度もブログに書いておりますので説明は省略させて頂きますが、「寒河江まつり」の元々というか一番の根っこは例大祭とこの町廻りなどの御神事で、八幡様が社を出て町を廻るのは一年に一度、この時しかありません。
早朝「御霊入れ」が行われた神輿を中心に、「京参乗り・きょうさぬり:残念ながら資料は現存していませんが、京より帝代行として例大祭に訪れた使者が「京参乗り」(京から参った)として残っているという説と、逆に大江公の使者として京に上る(京に参る)若者を模した、という説てがあります)、大祭を司る宮司や巫女さん、地元の町内会の町会長さん達や総代が様々な役を務め、私が所属する若宮会がお手伝いの子供達と一緒に皆さんから奉賛を頂きながら町を廻ります。
また、奴保存会の奴が行列に加わり(ルートが違い、2班の場合は午後から合流)、その行列の交通整理を氏子青年神輿會の會員が行い、宮司や京参乗りの乗る馬の手綱を流鏑馬保存会が引くという、寒河江八幡宮全ての団体が総掛かりで行っております。
私は子供達と一緒に、獅子頭を持ったりしながら歩かせて頂きました。
町廻りから帰ってきて、15時から戸山流居合い演武奉納(ここが一番雨がひどかったですね)、16時より古式流鏑馬、作試し流鏑馬、そして第35回神輿の祭典。
寒河江八幡宮の神輿は、奴・宮司・その脇を総代と若宮会が固め、神輿が通るという神輿団体とはチョット違ったプチ行列のようなスタイルですので、私は神輿は担がず、もっぱら御神田でとれた稲穂を使った御札を皆さんに私ながら撮影などをしておりました。
出陣式の頃には、小雨・霧雨となり、一斉渡御の頃には熱気で雨がどこかに行ってしまったようでしたね。
担ぎ手の皆さん、祭典のサポートをして頂いた皆さんのおかげで大事なく終了いたしました。お疲れ様でした。
寒河江八幡宮の神輿は今日の「御神幸行列」での役目が本来で、今は荷台に載っておりますが、神様が乗った神輿を各地区の若衆が待ちうけ、次の集落まで順送りで担いでおりました。その際、御神輿の担ぎ手になる事が地域に住む者の栄誉だったので、競って神輿を担いだそうです。
また、神輿の祭典の原点は、自分たちの力で寒河江らしいお祭りができないものかと昭和58年に寒河江青年会議所が先頭に立って行った「熱狂!裸神輿」で、4基の御輿を担ぎ、はちまきを奪いとった団体が寒河江八幡宮の「六角神輿」を担ぐ栄誉を得られるというものでした。
いずれにせよ、真ん中にある・根底にあるのは、神輿を担ぐ事が「栄誉」という事。
八幡宮の神輿以外は神様が乗る訳ではないので「御神幸行列」のような用途(と言うと大変不敬でしょうが)でもなく、また今ははちまきを奪い合って担ぐ訳でもないので、担ぐ事自体やみんなと一体感が楽しくて各神輿団体に所属している人も多いかと思います。
みんなで担ぐ面白さ・楽しさに、神輿を担ぐ事が「栄誉」であると言う事、そしてみこし公園に集まる意義的なものが加わり、この祭典の根底というか真ん中になるストーリーができれば、35回にもなったのでちょっと後付け的にはなりますが、さらに皆さんに愛される、長く続くおまつりになるのではないかな〜なんて思います。

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