本日読んだのは、文春オンラインのこちらの2つの記事
「美大はツブシがきかない」という定説を覆せるか――東北芸工大学長・中山ダイスケの考え

「美大はツブシがきかない」という定説を覆せるか――東北芸工大学長・中山ダイスケの考え | 文春オンライン

先鋭的なアーティストとしてニューヨークで活躍していた中山ダイスケ氏が帰国し、山形市にある東北芸術工科大学の教授の職に就いたのは、2007年のこと。デザイン工学部長…

山形は日本の縮図なんです
――いままさにお話しに出た「デザインによる問題解決」というのが、芸術系大学でデザインを学ぶ学生に求められる。
東北芸術工科大学は山形県の山形市にあるわけですが、この街はまさに日本の縮図なんです。郊外に大型スーパーができて、駅前が廃れ、街が空洞化していくということひとつとっても、人口減、高齢化にしてもそうです。単なる大自然に囲まれた、美しい東北というわけではありません。
だからこそ、その地域の中で私たちの大学がクリエイティブの力をもって果たしていく役割が重要です。

実際に、絵を描いていた学生が芸術大学を出て、そのままプロの画家になるというのは本当に一握りです。絵が上手いからプロになるというよりは、そこを目指して地道にやるかどうかということ。当然時間もかかります。多くの学生は、卒業後絵を描くチャンスは失っていくのですが、主婦になっても、農業を継いでも、芸術を学んだ人はやっぱりずいぶんとアイディアが違うんですね。芸術の学びは探求の学問であり、客観性が養われる学問です。本当はいろんな仕事に広く生かせる技量なのです。

こんな時代に地方の美大が生き残るための方法――東北芸工大学長・中山ダイスケの考え

こんな時代に地方の美大が生き残るための方法――東北芸工大学長・中山ダイスケの考え | 文春オンライン

今春、東北芸術工科大学の学長に就任した中山ダイスケ氏。アーティストとしてニューヨークで活躍したのち、なぜ彼は山形にある美大の学長に就任したのか。インタビュー後…

クリエイティブな人材を一部の業界のためではなく、社会全体のために輩出するという本学の建学理念に向き合い、あるべき姿に戻す。すなわちそれが世界を考えるということです。自分自身が海外に長く住んで、グローバルとローカルとはそういうものだと実感しています。(引用ここまで)

私は地元の進学校に入学しました。
そして1年生の進路希望の時に理系を選び、2年生からは理系進学コースになりました。
大学受験では「工学部」と名前のつくところを多数受験。
そして新設される「東北芸術工科大学」にも「デザイン工学部」と言うのができると聞き、「新設校だから何授業やっているかわからないしデザインとかってついているけど、工学部は工学部だろう」と、デザイン工学部情報デザイン学科を受験し、無事一期生として入学することができまた。
予想していた「工学部」ではなかったのですが、この大学に行かなければ今の自分はまちがいなくありません。

なお卒業制作は、映像を盛り込んだ(←映像コースだったため)山形市のそば屋紹介ソフトを製作。「一期生で商用的な作品は君ぐらいじゃないか?」と教授に評され、山形美術館で行われた卒制展では、私の作品の前に長蛇の列。というのも、遠方から子どもの作品を見に来た親御さんが、せっかく山形に来たのだから美味しいそばを食べたいと、皆さん私の作品でそば屋を調べてプリントアウトする(そんな機能をつけていた)ために、わざわざ並んでいらっしゃったのでした。
あれから20年以上経っているのに、やった仕事(雑誌編集)も今FBやブログでやっていることも、ほとんど当時と変わっていないというw
そういう意味では、最初の記事の「デザインやアートを学んだことは、あらゆる方面に活用できます。モノやサービスをより売れるものにできるかもしれない。収入に頼らずとも、アイディアひとつで本質的な豊かさを得られることもあるでしょう。経済活動のひとつの技、日常の工夫として、デザインやアートを学ぶことの意義はあるんです。」という現学長の言葉通りかも知れない。
ちなみに私がいた頃の学長は、青いポルシェのイメージしかありません(本文全く関係なし)

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