先日から後援会活動を再開させたこともあり、友人と今後について話をする機会がありました。

私は皆さんから応援頂いたにもかかわらず、3年前に寒河江市議会議員選挙で落選しました(公職選挙法はちょっと変だと思うのですが、webで書くのは良いけど、紙面で当落についての挨拶などを書くのはダメなんだそう)。
私が居なくなってから寒河江市が変わったかというと、多分ほとんど変わっていないでしょう。
自分の存在に意味があったのか?
自分の役割ってなんだったんだろうか?
落選後、そんなことを考える日も少なくはありませんでした。
そんなときに「じゃあ、志した時の原点ってなんだったんだろうか?そこからぶれてしまっているのだろうか?」と思い返しました。

私が「政治」を意識するようになったのは、第一子が生まれた時でした(実際の行動に出たのは第二子が生まれたタイミングですが)。
「子ども達がこの場所で幸せに成長していけるのだろうか?私がおじいちゃんになり、子ども達が大人になり、その子ども達が子どもを産んだときに、果たして寒河江は寒河江としてこの場所にあり続けられるんだろうか?」
多少加筆しましたが、私が政治家を志したときの原点は、このサイトの中にも記載しておりますので、詳しくはそちらを読んでいただければと思いますが、志した時も今も、一番の根っこは同じ。

私は企業も国・自治体も、最大の命題は「永続性」だと思っております。
企業が企業としてあり続けられる、ふるさとがふるさととして有り続けられるためには、耳障りの良い「あれやります・これやります」という「お金の使い道」だけを言う人に任しておいて良いのだろうか?

皆さんご存じかと思いますが、財政破綻した夕張市は非常に大変です。
他市よりも高い税金を納めているのに、他市よりも低い行政サービスしかうけられない。
結局被害を被るのはその土地から移ることのできない人やそこに生まれる次の世代です。
私は平均寿命まで生きると仮定すると、あと40年ほどこの街で過ごします。
行政というのは今日明日ですぐ結果が出るものではなく、じわりじわりと結果が街に現れてきます。
「あの時の決断が間違っていたんじゃないか?」
間違った決断をすれば、結果が出てくる今後40年間の中で、私はそう言われるかも知れません。
そう言われないように、責任を持って街の未来を作っていく。

この街は、私達の街。
私の子ども友人達もいる、大切な場所。
だから私はこれからも、ここの街を守り育てていきたい。
父親として。政治家として。
今、そんな風に思っています。

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