先日読んだネット記事
不寛容社会を生きるために必要なこと 「おたがいさま」から遠く離れて – 山本 一郎

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あいつはこんなひどい奴だ、こんな汚いことをした、ヤバい実態を知ってほしい、あんな奴は失脚すればいいのだ、様々な怨念が渦巻いて、この世の中を構成しているのです。
 週刊誌で記事になるほど著名な人たちならずとも、私たちの社会は結構緊張しています。誰かに悪口をネットで書かれるかもしれない等、様々な懸念やリスクと隣り合わせなのが現代社会だとするならば、むしろ言いがかりをつけられないようにひっそりと生きていくほうが賢いのだと思う人すら出てくるかもしれません。
 ただ、世の中はどうとでもいちゃもんをつけられるように出来ています。誰かが独身だと「いい歳して独り身なんて甲斐性がない」「人間性がまずいのではないか」と噂され、幸せな結婚をしたと思えば「あんなのとしか結ばれなかった駄目なやつ」「どうせ離婚するだろ」と叩かれたりするのが世間です。また、冒頭のようにちょっとした悪事が大きく取り上げられ、大した話でもないのにそこだけ切り取れば大悪人であるかのように喧伝されている現場を見ることもあれば、勝手な思い込みで膨らんだ虚像を信じ込んで自縄自縛になる人々もいます。(以下略。詳しくは記事をご覧下さい)

リンクの記事読んで思い出したのが、夏目漱石の『草枕』。
読んだこと無いのですが、冒頭部分は知っている人も多いと思います。
「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」。ここが非常にが有名ですが、その後に続く部分の方が秀逸という意見を以前読んだことがあります。
(その冒頭の続き)
 住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。
 人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三件両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
 あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容て(くつろげて)、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
 ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。
 あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。

「人の世は生きにくいよね」が共感を呼んだりまた心情を説明するために引用されたりする事が多いため冒頭文が超有名になったのだと思いますが、「人の世が住みにくいと言っても、結局神様でも鬼でもなく人が作っているのだから、どこに行っても同じようなもの。ならば住みにくいところをくつろげるようにして、束の間でも生きやすいようにしていかなきゃね」(私なりの訳)って事じゃないのかな。
今よりもちょっとだけ良い世の中に。

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