テレビはもともとお笑い・バラエティー(地元局の情報バラエティーも含め)ぐらいしか見ない。
ニュースはそのテレビ局のバイアスがかかっており、見ていてイラッとするので特に見ない。
最近はさらに見なくなった。
だってず〜っと同じネタを、しかも「事実(最近だとファクトなんて言いますかね)や第三者的に見ても間違いない証拠」ではなく、「こうであろう」的推測ばっかりなのでね。

私は、以前松藤先生に話を聞いた時、予算議論とはこうあるべきだよな〜と思いました(以下その時のメモ)。
予算の議論とは、この地域(国会なら日本の)未来をしっかりと具体的に想像して、この地域(国)が1ヵ月後、10年後、20年後にどうなるのかを考えてやらなければならない。
住民(国民)がどこに何人住んでるのだろうか。
ハード(箱物)を整備すれば、使う人がほとんどいなくなっても、人口構成が変わっても、借金=返済のための住民負担増=住民の可処分所得の減少=一人一人の夢をかなえるチャンス減少、という事象だけは確実に残る。住民に必要な「機能の整備」と、ハード(箱物)の整備とは、必ずしもイコールではないので、分けて考える。
一人一人の個人が頑張って、商品やサービスの付加価値を増大させ、利益率を上げる。行政は、どこに住んでいても、コネやお金がなくても、自分(個人)が頑張れば途が開けるという「ステージ(環境)づくり」が仕事。
親の年収別や地域別教育格差は長年放置され続け、就活や再就職までさまざまな実質的格差が放置されている。高付加価値を生みだす社会環境を整備するために、根本的政策改革が必要。
社会保障を充実させても、落ちこぼれシビルミニマム対策だけをしても、短期間のイベントで時給数百円の雇用を増やしても、高付加価値を生み出す人材は育成されない。むしろ、可処分所得の減少、さまざまな教育のムダや規制強化による可処分時間の減少により、高付加価値を生み出すための自分磨きのチャンスが減少していく。
賃金を引き上げる基本は、一時的な為替利益や株ではない。
世界で生産し世界で販売している日本企業。生産年齢人口の大幅減少による国内小売市場の大幅減少。もう、一刻の猶予もない。時間はないんだ。

自分の努力・能力だけでは絶対になる事ができない職業「政治家」。
例えば「寒河江市議会議員選挙」の場合、1,000人分の行動力がある人でも、1,000人分頑張れる人でも、実際に1,000人(前回結果)から自分の名前を書いてもらわなければ議員になる事ができません。
投票は「あなたに任せる」「俺の代わりに意見を言ってくれ」という意味。

現在国会では来年度の予算が審議されております。
あなたが投票した人をネットやTVで見て、「そうだ!それを言って欲しかったんだ」と思いましたか?
それとも「俺がやって欲しかったのはそういうことじゃない」と思いましたか?
私がやって欲しいのは、上記の内容です。

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